ダルメシアンな日々
日曜日にマルシェのお客様からウーに頂いたプレゼント。
ウーはまったく玩具で遊ぶという事をしない犬なので遠慮なく飼い主である私が頂きました。
2匹顔が違います。ぬいぐるみには興味がない女の筈でしたが一目見て「おー!かわいい」って思ってしまった。
そして先日生徒さんから頂いたディズニーの101、ポンゴとパーディタ。2匹がなぜか保冷バックから出て来た時には驚いた。「えぇ〜っ!良いの?」と言いながら我が手はさっさとリボンを結んでいました。これでもう、家の子だ。
私の記憶ではボンゴとアニタ、だったのですがアニタはパーディタの飼い主の名前と教わりました。どこかで間違えたんですね。
でも、余りに長い年月そう思い込んでいたので、もはや私の中では「ボンゴとアニタ」の方がしっくり来てしまいます。
この他にもメモ帳やマグカップ、封筒、カード等、皆さんがくださるダルメシアンコレクションが確実に充実していっています。
今は常に私の隣にいるウーですがこの間、時間がなくて彼は家に置いて私ひとりで買い物に行きました。ウーが好きな散歩のコースのアゼリアの花畑の前を通って帰った時、ふと思いました。
あー、いつかはこうやって私ひとりでこの道を歩くことになるんだな。
ウーが隣を歩かない日がくるんだな。
ウーが好きな道、ウーが好きなりんご、ウーが好きなカウチ。
ウーが好きな物はそこにあってもウーがいない日がいつかはやってくるんだとその時急に自覚したのです。
それは結構切ないなあと空を見上げてしまいました。
これは犬を飼う人,飼った事がある人は皆が思う事なんだろうなあ。
犬は散歩する動物だから一緒に通った道を歩く時に隣を歩いていたあの存在がいない、という喪失感はすごいだろうなと思っただけで目の前が暗くなってしまった。
でも。
失った時の悲しみを先回りして気が遠く成る程悲しいだろうなと感じるのは彼が大事だから。
私にとってはかけがえのない犬になったから、でしょう。
私にはそんなに大切な犬がいる。
そう思ったら気持ちが少し楽になりました。
犬は過去も未来も考えない生き物なんだそうです。
「今」を生きるから彼等は死を思う事もそれを恐がる事もないそうです。
ならば別れるその瞬間まで変わらぬ愛情を注ぎ、一緒に生きよう。
私も「今」を生きるべきだ。
未来の心配を先回りして消極的な生き方になるのはバカバカしい、と思いなおしました。
今まで多くの猫、犬も鳥も飼いました。その数だけ別れはあった。
年老いるまで側で暮らせた動物達との別れはそれほど辛いとは思わないのですが若くして亡くしたものは思い出すと今も切ないです。
それはやはり天寿を全うしてくれたか否かでこちらの(残される者の)気持ちの整理がある程度ついているかまだついていないかということなんだろうなと思います。
ボウズ。長生きしておくれ。
もし長生き出来なくても君の天寿をまっとうしておくれ。
私の7倍のスピードで生きる君に私は最後まで伴走するから。
ウー、ダルメシアンな日々をありがとう。
- 2014.10.27 Monday
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- 21:33